5年生存率3割

舌がんと診断されました。そのメモです。

ICU

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手術のあとはICU(intensive care unit,集中治療室)で1週間ほど過ごしました。

 

写真は手術の翌日です。うつろな表情をしているものの意識はあって,家族に記録用に写真を撮ってと伝えるだけの判断力もあるのです。われながら間抜けな顔をしていると思いますが,まぁこれも人生の一コマでしょう。

 

背中に麻酔の針が刺さって以降のことは,目覚めるまでまったく記憶にありません。手術が終わって手術台から移されたことをかすかに覚えているような気がするのですが,自分のことなのかTVドラマでの一場面をなぞっているだけなのかはっきりしません。目覚めたらこの状態でした。両手にはさまざまなケーブルが繋がれ,鼻には経管栄養のチューブが入り,喉にはカニューレが付いていて,尿道カテーテルも付いているし,自力では身動きできません。

 

カニューレは,

気管切開手術後に切開部から気管内に挿入して気道の確保,出血や分泌物の吸引などに用いる管(「コトバンク」)

です。これに痰が溜まって苦しいのですよねぇ。

 

ICUの看護師さんたちは,痰をとったり,こまめに体の向きを変えたり,毎日体を拭いて着替えをしたり,モニターを見ながらいろいろ調整したりしてくれました。スタッフ同士の会話も抑えた穏やかな声音で,つくづくプロだと感じさせられました。

 

手術後は喋れなくなると説明されていたので,A5のノートとえんぴつを持ち込んでいたのですが,最初のうちは家族とやりとりするにも,なぜか,大きな字しか書けません。いま見返しても,ぐちゃぐちゃで判読不明な字と内容です。見舞いに来てもらったのだからなにか話さなければ,と,回らない頭で懸命に話題を探していたことは覚えています。

 

そして,この体勢でも見られるよう天井からTVが下がっていて,看護師さんがしばしば見るかと聞いてくれたのですが,ふだんからTVを見ていないことと,メガネがないと映っているものがなんだかわからないこともあって(いちいちメガネをとってもらってまた仕舞ってもらって,というのも面倒ですし),あまり利用しませんでした。……家族は見たらしいですけどね。ww

 

少しずつ体に付いたケーブルがとれ,少しずつ意識がはっきりしてきて,少しずつ動けるようになって(歩行器を使ってICU内を散歩しました),ノートの字も小さくなったころ一般病棟に移ることになりました。

 

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